トイブロ

自分の感情を大切にするブログ

偶然は果たして偶然起きているのでしょうか?

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あるブログを拝見していた時、コメント欄に

「たまたまそういう人生を歩めただけだろ」

一言書いてあるのを目にしました。

 

そのブログの内容は若くして子供を授かり、偶然そういう環境になった事を、こんな風にみんな生きるべきだ。という言い方をしているブログ内容で、その事に何か反論したくて言った一言が「それ」だったのでしょう。

(ちなみに僕はその内容に共感していたのですが、この記事とは全く内容も違うし、そのコメントを残した人の事を晒す気もないのでリンクは貼りません)

その時、その一言に僕は特に思わなかったんです。

その時は

 

その日の夜、次の日の朝、今日。なんだかこの言葉が心の中で復唱されている事に気付きました。

なぜだか改めて考えてみることにしました。

 

まず言葉を分解して考えてみます。

「たまたま」

この言葉をちゃんとした言葉にすると「偶然」

生きているということは偶然が、積み重なって出来たものなんじゃないかなと僕は思っていて、どんな事柄にも偶然という言葉は当てはまります

僕は偶然、今の両親の間に生まれて、偶然男で偶然こんな容姿で偶然って言葉すげー。

「そういう人生を歩めただけ」

これはその人その人で違って、人の数だけ人生があるわけです。いろんな人生を知ろうとする事はとても有意義で自分一人では経験できない事を人から聞いて体験した気持ちになれる。どんなに自分が、どうしようもない人生を送っていると思っていても、他人からしたらとても新鮮な情報です。

「だろ」

〜だろ。俺を一緒にするな。俺はそう思わない。何かを否定する言葉です。乱暴なイメージで僕は日常生活で使うことはありません。なので嫌なイメージがしたのかな?

そうとも思ったんですが、この言葉が原因で心の中にこの言葉が住み着いているとは思えませんでした。

偶然、そういう人生にはなっていないんじゃないか

コメントをした人は「たまたまそういう人生を歩めただけだろ」と言いましたが人生にたまたまはありません。

人生は常に選択の連続。シェイクスピアさんの名言です。

確かにたまたま(偶然)色々な出来事が起きているいます。

けどそのたまたま起こる事柄の中から、一つづつ物事を選択して人生が出来上がってると考えます。

なのでたまたま、そういう人生は歩めない事に。勝手に自分の行き先は変わりません。

その言葉自体、矛盾していて、だから僕の心の中に突っかかっていたみたいです。

ブログを書くようになって

ブログを書くのって結構時間がかかりますよ。しかも自分の考えを自信を持って公表しなくちゃいけません。

その作品というとオーバーかもしれませんが、それを人生論を振りかざして否定するのはどうかなー。とすごく思いました。

僕はたまたまに感謝します

僕のブログを読んでくれている人も少しづつ増えてきています。一人も読んでくれていない時からするととてもすごい事だなーと感じています。何か反応してもらえるのはとても嬉しくて、たまたまこの記事を読んでくれた事に感謝感激です

僕は他の人の意見が書かれたブログが大好きです。この人はどんな思いでこの記事を書いているのだろう。どんな経験をしているのだろうと、心踊らせて読ませていただいています。

偶然の出会いを大切にして、少しでもみなさんに何か伝えられるようにこれからも頑張ります!

そしてこの記事を書くきっかけをくれた「たまたまそういう人生を歩めただけだろ」と発言した人にも感謝です。

偶然で人生は作られていないという事に確信を持つことができました。

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